雑記
   

 

●驚きの『リカちゃん 生まれます』 (2009年11月中旬)
 今年になって、『リカちゃん 生まれます』という本が出版されました。著者はなんと、初代リカちゃんの開発にたずさわった方。初代リカちゃんがいかに「生まれた」か、初めて聞くエピソードも多く、薄い本ながら、驚きや感動が詰まっています。
 管理人もこの本を読んでいろいろ驚いたことがあったのですが、実はその驚きというのは、やや大げさながら「初代リカちゃんが実は自分のごく身近なところで作られていた!」というものでした。
 人間というのは、自分の日常に直接必要でないことには注意を払わないものなんですよね。たとえば、バービーちゃんが好きな方でも、じゃあマテルの本社が今どこにあるの?と聞かれて、答えられる方はそう多くはないと思います。管理人もです(笑)。本社がどこにあろうが、お人形自体とは直接関係ないこと。
 大人になってさえこうですから、子供時代なら、なおさらです。
 管理人は子供のとき、リカちゃんを作っているメーカーが「タカラ」だということはさすがに知っていたとは思います(笑)。しかし、タカラがどこにあるのか、リカちゃんを作っている工場がどこにあるのかなどは当然、考えたこともありませんでした(実は今でも(笑))。
 初代リカちゃんが生まれた当時、「タカラ」は東京都葛飾区青戸(あおと)にあったそうです。鉄道でいうと最寄り駅は
京成電鉄の青砥(あおと)駅。
 青砥駅から西へ向かうと、立石(たていし)駅、四ツ木(よつぎ)駅と続き、リカちゃんの顔の原型を作った上条金属加工(現「
潟Jミジョー」)は四ツ木が最寄り駅だそうです。
 四ツ木駅からさらに西に向かうと、葛飾区から墨田区に変わるのですが、実は実は、管理人の母親の実家は墨田区の、しかも京成電鉄沿線にあります。管理人は千葉市生まれの千葉市育ちですが、母の実家が墨田区だったため、子供のころには、京成には実によく乗って、今の家と母の実家を往復しました。家と東京を結ぶ京成の各駅名は当時、順番にすべて暗記していたほどです。
 この本を読んだとき、「もしかしたら、リカちゃん開発当時、この著者の方や顔の原型を作った方と電車で乗り合わせたことがあったのかも!」と思いました(笑)。まあ子供のころですから、母の実家に行くのは土曜か日曜。しかし、当時は週休2日にはまだなっておらす、また著者の方は休日返上で働いていたそうなので、土日であっても乗りあせていなかったとは言えません!


『リカちゃん 生まれます』(小島康宏、集英社、2009年)


 さらに本を読み進んで、管理人の驚きは続きました。
 リカちゃんは当時、千葉県八日市場(ようかいちば)にある、多角経営を進めていたお醤油工場!!で作られていたそうで、著者の方がその工場に行くため、国鉄千葉駅から列車に乗るくだりがあります。
 国鉄千葉駅は管理人の家から徒歩8分ですが、線路までは徒歩2分。線路まで歩き、さらに少し行くと、線路をまたいで陸橋があり、子供のころは毎日その陸橋に行きました。なぜ行くのかというと、当時は蒸気機関車が主流ですから、列車が陸橋の下を通ると、その煙で世の中がすべて灰色の煙になるのです。それが面白くて、毎日陸橋に列車の煙を浴びに行っていました。陸橋からはもちろん千葉駅が見えます。
 著者の方は当時おそらく、国鉄の小岩(こいわ)駅か新小岩駅から列車に乗られ千葉駅まで来られ、さらに八日市場に向かわれたのではないかと思います。
 つまりここでも、もしかしたら、著者の方が乗られた列車を目にしていたかもしれないのです!(笑)
 世の中狭いとよく言いますが、ほんとですね。
   
   
   
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