札幌・小樽、観光グルメ&プロレス観戦の旅 (2004年6月18〜20日) ※ここで記載した観光名所、お店は、ガイドブック類、ネットなどいろいろなところで紹介されていますので、営業時間などはそちらをご覧ください。 ホーム |
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■ちょっと屁理屈 | |||||
インターネットが発達したこともあり、現在はほんとに机の前にいながらにして、いろいろなことを知ることができる時代になっちゃいましたねぇ。旅も例外でなく、日本国内なら、旅立つ前にネット検索すれば、写真も見られて、これから行こうとするところのほとんどのことがわかってしまいます。 それは便利さでもあるのですが、反面、あまりなにもかも知っておいてしまうと、純粋な驚きや感動というものが薄れてしまいます。鉄道に関する紀行文や紹介記事を書いておられるレイルウェイ・ライターの種村直樹(たねむら なおき)さんも『乗 |
ったで降りたで完乗列車』(講談社文庫。絶版)のなかで、「…どんどん楽しく、かつ役にたつ本を書いてくださいと、若い人たちからたくさんお手紙をいただき、期待されるのは嬉しいけれど、一人一人が自分の目で眺め、何かを見つける楽しみを奪っているのではないかと、ときどき考え込むのである」とおっしゃていました。 要するになにが言いたいかというと、今回の旅は、下調べはほとんどしないで出発しよう、ということなんです。日本国内の普通の旅行なら危険なこともないですし。 |
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■北斗星で札幌入り。帰りも 札幌へは17日、上野16:50発、札幌、翌日9:18着の北斗星1号で行きました。日本の夜行列車は大学のとき以来、実に27年ぶり!ぐらいです。 利用したのは、1つのブロックに上下4つのベッドが向かい合わせになったB寝台。通路との間にドアはなく、寝るときは、各ベッドのカーテンを引くというものです。 このB寝台、上に書いたように下調べもぜず、B寝台ならいちばん安いだろうと思って切符を買ったのですが、本当に寝るためだけの場所って感じで、居心地、寝心地はお世辞にもよくありませんでした。行きは下段利用だったんですが、なんとベッドの下は壁になっていて空間がないので、荷物を入れることができないんです! これは本当に不便! しかたがないので、バッグはベッドの上に置いてました。上段利用だと、通路の天井部分に荷物置き場があるのですが、キャリーバッグだったとしたら、下段では置き場所がなく、上段では女性では荷物置き場に持ち上げることはできません。本当に手提げバッグでよかったです。JRさん、しっかりしてくださいな!(笑) 列車には、1両の半分に椅子とテーブルが並んだ、公共のロビー室もあるのですが、乗った直後に行ってみたら、しっかり満席になってました(笑)。ほかの車両の通路をえんえん歩いていくのも面倒で、一回見に行ったあとは再度行く気もしません。 旅が終わって調べてみたら、北斗星には同じB寝台でも個室になったのがあったそうです。しかも、料金はどうやら同じ! ロビー室も、上野出発が遅い北斗星3号だと、1両まるまるロビーのロビーカーがついていたそう。 要予約の食堂車もついていますが、一人で食事っていうのもなんですし、費用節約のため、上野駅で駅弁を買ってそれを夕食としました。しかし、放送を聞いたら、食堂車の夕食の1回目の始まりは5時半。まだ大宮駅を過ぎたところですので、この時期この列車だと、車窓には住宅街の景色が…。せっかくの食堂車での食事の雰囲気としてはどうかと思いました。 青函トンネルの通過時間は最初のころ放送で教えてくれます。でも、この北斗星1号では深夜3時ぐらい(笑)。正確な時間を覚えていなくても、突入する前に、結構の数のトンネルを通過し、各トンネルの突入前に列車は汽笛を鳴らし、その汽笛が一段と長く、入った直後、青いネオンのようなものが車窓に見えるのが青函トンネル。トンネル内の列車の反響音もいままでのトンネルと違うので、すぐわかります。もっとも、入ってしまえば要するに単に長いだけのトンネル(笑)。途中にある、竜飛海底駅と吉岡海底駅は、帰りに見たのですが、線路と直角に、明かりのついた小さなトンネルのようなものが6つぐらい見えるだけで、あれが駅らしいとしかわかりませんでした(笑)。 翌朝は7時過ぎごろ、やっと目が開きました。この時期ですから、夜もすっかり明けていて、伊達紋別の前後は列車が内浦湾(噴火湾)ギリギリのところを走り、右手の海の情景はかなりのものです。もっと早くからちゃんと起きていればよかったと後悔しきり(笑)。 |
久々に夜行列車に乗って思ったことは、夜は闇なんだなぁということ。街を抜けてしまえば、車窓の外は真っ暗で、駅を通過したとしても駅名標も見えません。いつもは街で暮らしているので、夜は暗闇なんだという単純なことに感心します。 |
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