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●いやぁ、語学の勉強はツライっす (2009年3月上旬)
 人間、スポーツや芸術、あるいは勉学やそのほかのことでも、何かをマスターしようと思えば、簡単なことなど無い、とはわかっていても、やはり、その途中のつらさに愚痴をこぼしたく(笑)なるもののようです。
 語学の勉強もつらいことのうちのひとつなのですが、今回は、それがどんなふうにつらいのか、ほかの物事を習うのとはどこが違うのか、ちょっと考えてみました。

・つらさ、その1―容赦が無い
 たとえば習い始めて半年、1年してその国に海外旅行に行った。人の言うことはほとんど聞き取れず、言いたいことも言えず、がっくり。
 よくあることです。
 ちょっと極端な比較かもしれませんが、これは、なにかのスポーツを始めてやはり半年、1年しか経っていない人が、いきなりオリンピック出場クラスの選手と対戦させられる、などという状況と似ているような気がします。
 もし、これが本当にスポーツなら、レベルが違いすぎて、こういう対戦自体が起こらないのですが、語学の場合は、起こってしまう。なかには、ゆっくり話してくれるなど、気遣いを見せてくれる人もいるかもしれませんが、全部が全部、そんな親切人ばかりではないでしょう。ましてや、テレビなどで話されている会話は、言うまでもなくナチュラル・スピードです。

・つらさ、その2―勉強しなくてもできるヤツがいる(笑)
 
スポーツや芸術など、ある物ができるできないというのは、生まれつきの才能が大きいと思いますが、一般には「努力」が大事だと言われています。語学ももちろんでしょう。しかし! なかには全然努力していないのに、できる人間がいるんです!(笑)
 どういう人たちかというと、親の都合で、子供時代を海外で過ごした、などの人たちです。こういう方たちも、簡単に話せたりするようになったわけではなく、その過程ではいろいろつらいことがあったりしたのはわかるのですが、やはりこちらから見れば、努力していないのに、となってしまいます。
 これに対し、たとえば、子供時代、フランスに5年いた、という人が、みんながみんな画家になれるかというと、そんなことは全然ないでしょう。ドイツにいたからサッカー選手になれるということもないと思います。もし、普通の日本人より、ちょっぴり絵がうまくなったり、サッカーができるようになったとしても、日本と向こうでは教育体制が違うとか、それを取り巻く環境が違うからでしょう。
 しかし! 言葉の場合は、向こうの人に混じって5年も暮らせば、まず「ペラペラ」になるはずです。
 言葉は人間の基本的能力だから、スポーツや芸術と違って、才能や努力なくしてもできるようになる。
・つらさ、その3―完璧を求められる
 少し長期に習っていると、レベルが下の人たちからは、○○さんはあんなにできる!と、羨望のまなざしを浴びることがあります。
 しかし、相手の言うことや書いてることが8割はわかるとしても、それでは通訳や翻訳はつとまりません。公式の場やビジネスでも、「〜〜と言っているようですよ」や「〜〜と言っているみたいです」では話になりません。つまり、8割できたとしても、10割わからない限り、それは0に等しくなってしまう。
 筆者が思うのですが、この世の中のたいていの物事には、それぞれレベルというものがあって、語学以外の物事は、5割、7割など、たとえレベルが低くても、ちゃんと、その人、それに対する評価が与えられるという気がするのです。たとえは悪いのですが、1流ではなく、2流、3流の画家の人にもそれなりの評価はあると思うんです。
 しかし、語学の場合は、オール・オア・ノットと言うんでしょうか? 完璧でなければなんの役にも立たない! そういう思いが非常に強いです。そして、それがまた、他の物事との決定的な違いになっているような気がしています。

 
●試験の難易度と採点方法 (2005年7月中旬)
 もう、だいぶ時間がたってしまいましたが、5月中旬、中国語版TOEFLの試験を受けました。この試験の受験はこれで3回目です。
 ところが、試験が始まってもうビックリ!!! 最初のセクションはヒアリングなのですが、試験形式は今までと同じものの、その難しいことっ!!!  それまでは、会話を聞き取る部分では、1つのセンテンスがそれほど長くなかったのですが、恐ろしく長ったらしく、しかもややこしい! もう呆然自失……(笑)。
 続いて、文法などのリーディング試験となるのですが、こちらも、試験形式は同じですが、文字の大きさや紙面のレイアウトが変わり、まるで別の試験を受けてる気分。しかもやはり今までより難しいっ。
 後日、友人にそのことを話すと、「出題の担当者が変わったんじゃない?」(笑)。おいおい、受けるほうの身にもなってくれぃ〜〜!(笑)
 実は、中国語版TOEFLは、試験の結果は点数ではなくレベルで表わされ、また、各セクションの点数は、正解数がそのまま得点となるのではなく、一種の偏差値によって表わされてきます。受験者全体の成績が悪ければ、この偏差値によって調整が行われ、おそらく、こうした、試験のたびの難易度の差を補うための措置なのでしょう。そういう意味では、実に賢明な採点方法といえるかもしれません。
 この偏差値制度が有効に働いているのか、ちょっと前に返ってきた成績表を見ると、1つのセクションを除いて、どれも点数は前回受験より上がっていました。いちばん苦手だったヒアリングも、試験のときは壊滅状態だと感じたのですが、わずかながら上昇。試験全体の結果は、前より1レベル上がって、中級のAというレベルになりました。ふぅ〜〜〜(笑)。   
 さてさて、もう1つの試験である、中国語版TOEICですが、こちらはだいぶ前、昨年12月に受けました。2回目の受験です。
 実は、この試験も、受けてみてやはりビックリ!!! 1回目に受けたときより、特にリーディング問題があまりに易しいのですっ!(笑) これは一見易しく見えるが、実は引っ掛け問題かもしれない(笑)と思い、なにか裏の意味があるかも、と考え込んでしまったほど。
 この中国語版TOEICも採点方法は、正解数が得点となる単純なものではなく、大雑把に言うと、みんなができた問題ができても点数は低く、正解者の少ない問題ができると点数が高い、という方法が採られています。
 というわけで、1回目の受験時よりは成績は上がっているだろうが、すごい上昇はない、と踏みました。ところがっ! 成績表を見てみたら、とんでもなく上昇しているのです(笑)。成績が上がったというのは、普通なら喜ぶところですが、これに関しては喜べませんでした。
 正直、この試験に対する不信感(笑)がつのった次第です。
 難易度を見るためにも、また受験するはずでしたが、仕事が忙しく、応募の締め切りを忘れてました(笑)。でも、次回はまた受けてみるつもりです。  

 
●あと半分の道のり (2005年4月上旬)
 下のほうにも書いたのですが、筆者の中国語版TOEFLの現在の成績は「中級B」、要するに「中の中」、つまりちょうど真ん中のレベルなわけです。
 以前は、自分のレベルの低さに元気がなかったのですが、最近、少々プラス思考(笑)をするようになりました。
 ものすごく単純に計算した場合ですが、ちょうど真ん中ということは、読んだり、聞いたものの半分が理解できないということ。語彙に関していえば、中国の大人の人の半分の数しかないということです。 
 実際、自分の状況を振り返ると、たとえば、ラジオ放送で短いニュースなどを聞くと、鍵となる単語がつかめないことも多く、いったい今のニュースは何を言っていたのだろう?とテーマさえわからないありさま。中の中ってのは、まったく正当な評価だと感じます。
 以前は、上のように聞き取れない場合や、読んで、知らない単語ばかりだったときは、ガックリきたり、ため息をついていたのですが、最近、そんな状況に出会うと、まず、「自分の中国語は、(よくて)中国人の半分!」と思うことにしています。そうすると、気が楽になるんですね。「半分なのだから、わからなくて当然。これから、あと半分を少しずつわかるようにしていけばよい」というわけです。 
 また、いちばんへこむのが、結構時間を費やしたつもりなのに、全然上達していない、と思うときです。これに関しても、ちょうど真ん中にいるということは、今までかけたのと同じかそれ以上の時間をかけないと、倍のレベルにはなれないわけですから、まだまだちょっとしかやっていないのだから、上達が見えなくて当然というふうに考えられるようになりました。
 しかも、物事というのは、上のレベルにいけばいくほど、少しの上達に時間がかかるもの。上級で10点アップに必要な時間は、初級で10点アップするよりずっとずっとかかるでしょう。
 こういうプラス思考ができるようになったのは、最近、あらためてあちこちで、語学の上達には時間がかかるという記事を読んだからです。
 下に300時間と書きましたが、まずは1000時間やろうとか2000時間という提案も載っています。効果的な学習法にあれこれ悩むなら、さっさとその時間を学習に当てたほうがよほどよい(笑)という意見もありました。
 「とにかく半分。あとの半分の堀を少しずつ埋めていく」、これが今の筆者の心境です。 

 
●アナログ世界。トホホ… (2005年3月下旬)
 かなりサボりながらも(笑)、中国語の勉強、続けています。
 ところで中国では、CDの普及はまだまだで、勉強のために買った中国製ヒアリング用音源は、カセットテープ。
 このカセットテープ、内容はよくできているのですが、模擬試験用なので、あちこちに、「この試験は、中国語を母語としない人のための…」といったアナウンスや、試験の受け方の説明なども入っているのです。それをいちいち聞くのはわずらわしいので、カセットテープからカセットテープにダビングすることを考えました。
 すべてのものがデジタルに取って代わられている昨今、カセットからカセットにダビングできるカセットデッキなんて今どき売っているのかしら??という大いなる疑問をいだきながら、大型電気店に行ってみると、かろうじてありました。2台だけ。買った箱を抱えながら、携帯電話やパソコンを見ている人たちの人混みをかきわけて家に帰ったわけです。家に戻ると、机の引き出しの奥から、いつ買ったかなんてすっかり忘れていたカセットテープを取り出して、ダビングしました。
 さてその後、今度は、日本発行の中国語学習雑誌についているCDをヒアリング用素材とすることにしたのですが、CDプレーヤーだと、聞きたいとこまで、「進む」のボタンを押し続けなければならず、またまた面倒なのです。何枚ものCDから聞きたいところだけを抜き出し、それを続けて、バックグラウンドミュージックのように流しっぱなしにしたい!
 Windowsの「メディア・プレイヤー」を利用して、パソコンに音声を取り込む方法などもやってみたのですが、それもまた面倒(笑)。おまけに、ちょっとの長さでも、ハードディスクをすごく食うんですよね。  
 今は、MDなどという機械もあるそうですが、筆者はこういうものにまったくうとい。
 というわけで、結局、またまた、CDの聞きたいところだけをカセットテープに録音し、それを流すという方法を取ることにしました。
 カセットテープなどを買ったのはまったく10年ぶりぐらいです。予想通り、カセットテープは店のいちばん隅っこに置いてありました(笑)。

 
●まずは300時間? (2004年12月中旬)
 筆者は、語学の学習体験記や勉強の仕方について書かれた本を読むのが、結構好きなんです。
 語学ってやはり苦労しないと身につかないので、体験記を読むと、大変なのは自分だけじゃないと励まされるし、学習法については、なにか参考になることがないかと思って読みます。
 最近、読んだのは『この1冊ですべてが解るTOEICテスト』(千田潤一、鹿野晴夫、旺文社)。筆者が勉強しているのは中国語ですが、中国語について書かれたものってほとんどないので、読むのはどうしても英語についてのものになります。
 このなかに出てたんですが、語学は、300時間ぐらい何か同じことを続けないと効果が表われないそう。「上達しない、伸びない」と言っている人のほとんどが、100時間も続けないうちに、もっとほかの教材をやったほうがいいのではとか、ほかの方法のほうが効果があるのではとか言って、別のものに手を出してしまうのだそうです。
 う〜む、なるほど〜。
 300時間といえば、1日1時間やって300日。結構かかるなぁ。
 しかし、これは、熱しやすく冷めやすく、飽きっぽい(笑)筆者にとっては、有益な情報かもしれません。
 それで、ある学習方法を300時間やってみることにしました(続けばの話ですが…(笑))。 
 「千里の道も一歩から」「学問に王道なし」(謙虚(笑))。あくまでも続けばの話です(笑)。
 ちなみに、中国語版TOEFLの結果ですが(前ページ、前々ページ参照)、今回は成績の結果郵送が早く、すでに成績表が届きました。
 結果は、前回より1レベル進歩し、中級B。
 中級のBってのは、俗に言えば「中の中」。つまり全レベルのやっと半分に達したというわけです。先は長いですなぁ。
 しかし、ヒアリングは相変わらず悪く、このセクションでの成績は中級C、つまり「中の下」です。
 頑張らんといけません〜。
   
   
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