プロレス 雑記パート2

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●消えゆくWWEへの想い (2007年9月上旬)
 スカイパーフェクTVでのWWE番組の視聴をやめてから、もう3年ぐらいになると思います。あまりに前で、自分でもいつやめたのか思い出せないぐらいです(笑)。
 また、去年までは、あの面白かった99年〜00年をせめて、「フィギュア」と呼ばれるプラスチック製の人形で残しておけないかと、Yahoo!オークションで安いのが出たときに、少しずつ買っていました。物にもよると思いますが、オークションには波があります。どこかで売れ残り品の放出でもあるのか、出るときはどっと、同じ品が複数の出品者から出るのですが、出ないときは毎日見ても、売れ残りのような品しかありません。それで、時間をかけ、ときどきのぞいて、時間をかけて買い集めてゆくつもりでした。
 しかし、その想いもとうとう、今年になると、消えてきました。昨年まではときどきのぞいていたのですが、今年になって、それすら忘れるようになったのです(笑)。
 少し前、久しぶりに思い出していってみましたが、驚いたのは、結構人気だったレスラーが出ているのに、全体で、入札者がほとんどいないことです。おそらく、WWEへの想いが消えていっているのは、ほかのファンも同じなんでしょう。そのため、以前は、ハーディー・ボーイズ、ダッドリー・ボーイズなどは全然落札できなかったのに、楽々手に入れることができました。
 ただ、困ったのは、以前は00年のレッスルマニアの試合カードなどは暗記していたのに、今では資料を見ないとわからなくなっていることです。要するに、00年に活躍してレスラーが誰だったのかさえ、忘れてきているのです。 
 プロレス週刊誌のWWEの記事も、今は写真をぼんやり眺め、あのレスラーはまだいるのか、誰々は見かけなくなったみたい、と思うだけで、文章はまったく読まなくなりました。
 00年に、毎日すごい量の書き込みがあり、ページがどんどん動いていた掲示板も、久しぶりに行ってみると、なんと、ページの下のほうは、昨年の書き込みになっています。また、偶然行ったある掲示板では、番組名の「RAW」が「LAW」と書き込まれていました。こうした間違いは、人気のあった当時では考えられないことです。筆者も、ただなにげなく見ているテレビ番組は、番組名をちゃんと覚えていないことがあります。それだけ、熱をもたずに見ている人が多くなったのかもしれません。
 今年は、日本での試合開催もないそうです。
 WWEはこのまま忘れられてゆくのでしょうか。

 
●つまらなくなった原因 (2004年9月中旬)
 プロレスに興味のない方が、このページを熱心に読むとは思われないのですが(笑)、テレビには関心があるという方もいるかもしれないので、下で書いた、WWEがつまらなくなった理由をもう少し詳しく書いてみたいと思います。
 まず、「WWEにはストーリーがある(あった)」についてなのですが、日本のプロレス番組が試合だけを放映するのに対し(当たり前ですよね)、WWEのプロレス番組は、試合と試合の間に、映画やテレビドラマとまったく同じような、ストーリーのある映像が流れます。内容的には映画などとまったく遜色がなく、ただ違うのは、演じているのがレスラーやそのマネージャーであるというだけ。試合会場である体育館などでは、この映像は巨大スクリーンに映し出されます。
 そして、いちばん面白かった時期、この映像の舞台は、野外だったり、ホテルの1室だったり、病院、留置場(!)などでした。映像の舞台が、試合をする体育館ではないという点で、筆者は勝手にこうした映像を「ロケ」と呼んでいました。
 「ロケ」のなかでは、レスラーたちが抗争を展開したり、女性マネージャーの取り合い(笑)、不倫(笑)などを演じます。
 そして、この映像が途切れると、リングに、映像のなかで対抗しているレスラーがジャーンと登場し、試合となります。なんたってもともとはプロレス番組ですから(笑)、決着は常にリングの上で決まるのです。
 つまり、WWEの番組というのは、映像→試合→映像→試合……で構成されています。
 ところが、あるときから、「ロケ」がなくなり、映像の舞台が、試合をする体育館の控え室、廊下などだけになるようになりました。
 舞台が控え室や廊下だけになると、当然、ストーリーは単調でつまらないものになり、ストーリーらしいストーリーがなくなってきました。このころから、アメリカの視聴者は急速にWWEから離れ出します。筆者もです。
 なぜ、「ロケ」をやめたのかと想像すると、まず、「ロケ」を行なうには、凝ったセットを作ったり、撮影隊も必要で、お金がかかること。また、レスラーに試合以外の労働をさせることになることです。  
 ストーリーがあったころ、レスラーには、それぞれ、善役、悪役、お笑い系などのキャラクターが与えられていました。このキャラクターが実に凝っていて、レスラーの外見、個性、プロレスの技術など、多方面から検討して、考えに考えて作り出されたものだったのです。
 しかし、ストーリーがなくなれば、キャラクターというのも当然、必要ありません。画面から、格好よく、面白い、魅力があったレスラーがどんどん姿を消すようになり、替わって登場するようになったのが、魅力もなく、キャラクターも与えられていない、ときには不細工な(笑)、どちらかというとプロレスの技術重視のレスラーたちでした。
 どうやら、WWEはストーリー重視からプロレス重視に転向したようだ、と思ったのですが、このプロレス重視にも無理があります。
 というのも、WWEはテレビ放映が前提で、番組の1つは実況放送。コマーシャルとコマーシャルの間に、1試合、また数試合を原則的にきっちり終わらせなければならないのです(笑)。1試合の時間は、日本のプロレスと較べると、あきれるほど短く、レスラーが技術と体力をかけて、時間無制限でとことん戦うという日本式の試合は端から無理。また、技術のあるレスラーもそのよさを発揮をしようがないのです。
 したがって、人気がなくなって以降のWWEは、面白いストーリーもなく、魅力のあるレスラーもいず、試合も中途半端。まさに、ないないづくしとなってしまいました。
 『週刊プロレス』を見ると、どうやら、筆者のように、WWEでアメリカのプロレスに注目したはいいが、WWEにはすっかり飽き、アメリカのほかのプロレス団体に目を向けるようになったファンが結構いるようです。
 筆者も、もし今度アメリカでプロレスを見る機会があったら、ぜひ、WWE以外を見てみたいですね。 

 
●どこに行った?WWEファン (2004年5月中旬)
 02年3月、WWEは来日し、横浜アリーナで1日だけ試合を行ないました。
 試合前、実は筆者は、観客が集まるのか、非常に心配していました。01年から、番組内容が飽きれるぐらいつまらなくなっており、相当数のファンが離れていったと思われること、要するに人気の絶頂期はとっくに過ぎていたのです。「今さら来てもなぁ」と思いました。
 また当時、WWEはスカイパーフェクTVや一部のケーブルテレビだけの放送で民放ではやっていませんでしたから、人気があったときでも、ファンというのは数が知れています。観客は日本に住むアメリカ人ばかりじゃないの?とか、10年、15年前からの固定ファンじゃないの?などと想像しました。
 でも、蓋を開けてみれば、大大大成功! マスコミが殺到したり、前売りを買えなかったファンが当日券を求めて長蛇の列を作ったり、会場と会場周辺はお祭り騒ぎ。
 観客も、筆者をはじめとして、ザ・ロックの顔に惚れた(笑)というような、プロレスが好き!というより、レスラーのカッコよさに魅かれたらしいファンが多数を占め、プロレスの試合というより、完全に人気歌手のコンサートの雰囲気です。
 しかし、03年1月の日本大会では、がらりと客層が変わりました。ますますのスター選手の離脱、ストーリーのつまらなさなどで、プロレス以外の部分に惹かれていたファンがさすがに離れ、プロレスファンだけが残ったのです。
 離れていったファンはどうしているかというと、ザ・ロックは、「スコーピオン・キング」の主役を務めるなど、ハリウッド・スターになりましたので、彼のファンは、映画館に(笑)出かけたり、DVDを買ったり、映画雑誌を見ているでしょう。ミュージシャンの卵に転身したジェフ・ハーディーのファンは、音楽情報に注目しているはずです。たぶん、こうした方たちの頭のなかでは、WWEは忘れられた存在になっているのではないでしょうか。しかし、それもやむないと思いま
す。筆者もそのころには、すっかりWWE熱はさめ、日本のプロレスに目を向けるようになっていました。
 もうひとつ、ファンが離れていった原因のひとつには、WWEはアメリカの団体ですから、日本語による情報がほとんどない、ということがあるのではないかと思います。大都市の洋書店に行けば、雑誌は売っていますし、英語なら、公式のものから、選手のゴシップなどが載ったものまで、サイトは山ほどあるのですが、英語ができなければ読むことができませんし、掲示板に参加することもできません。黙ってテレビを見ている以外、なんの楽しみもないのです。筆者の場合、これが非常に大きかったと思います。カッコいい選手なら日本にだってたくさんいるし、色々な情報だって得られるし、ファンレター(笑)も日本語でOK、ということになってしまいました。
 自分のなかでも、日本でも、WWEは一時だけのブームになってしまうのか。う〜ん、う〜ん(笑)。


スター選手のひとり、エッジ。彼は今もWWEにいます(2000年4月、アナハイムでのファンの集いにて撮影)。

●ハマるきっかけ (2004年5月上旬)
 WWEを見始めたのは、本当にまったくの偶然でした。中国語を習ったことのある筆者は、97年暮れから、スカイパーフェクTV(当時は両社の合併がまだ行なわれていず「パーフェクTV」)で、今はなくなってしまったのですが、「スタープラス」というチャンネルがあって視聴していました。このチャンネルは、香港、台湾の映画、テレビドラマ、歌謡番組などを放映していたのですが、唯一、まったく場違いなことに(笑)、WWE(当時は「WWF」)の「RAW is WAR」もなぜか放送していたのです。
 香港、台湾の芸能番組を見たくて視聴していたうえ、当時はプロレスになどまったく興味はありませんでしたから、最初の1年半ぐらいは、この番組が始まると必ず(笑)チャンネルを消していました。それが99年秋頃、たまたまテレビを消し忘れ、ネットサーフィンに疲れて、ふと後ろを振
り返ると、画面にザ・ロックがアップで写っていたのです(笑)。「誰だろうこの超ハンサムな人?」(笑)、というわけで、テレビの前に座り込んで見てみたのが始まりです。
 その日1日見たのですが、これが面白いんです! 日本のプロレスとまったく違って、メロドラマのようにストーリーがあるうえ、出てくるレスラー、出てくるレスラーみんな顔がいい!(笑) それなので、次の回もその次の回も見ることにしました。00年4月には、アメリカにもまったく興味がなかったのに、現地まで試合を見に行く始末です(笑)。
●どうなる?WWE  
 筆者が見始めた前後、WWEはアメリカでも空前の人気を博していました。プロレスというと、一部の人が見るものであったのが、一般の人々も見るようになったのです。そして、WWEはプロレス会社としては異例中の異例で、とうとうニューヨーク株式市場に上場も果たします。
 ところが、01年から、上り詰めた者は落ちるだけ、の法則なのか、急速に人気が落ち始めました。それ以降は、番組内容はつまらなくなる一方で、現在(2004年5月)、筆者はスカイパーフェクTVのチャンネル契約を打ち切ろうかと考えているほどです。
 どうやら、この裏側には、経営方針の転換や変化というものがありそうなのですが、日本語ではこれについて書かれたものがなく、英語のできない筆者は、経営面での情報を読むことができません。
 番組内容だけを見れば、チャイナ、ロード・ドッグ、Xパック、ジェフ・ハーディーといったスター選手たちが離脱(解雇または契約更新せず)していること、リキシ、バル・ヴィーナス、ビリー・ガン、スコッティ2ホッティ、ゴッド・ファーザーなど、人気作りに貢献した愛すべき人気レスラーたちをメインの位置からはずし2軍扱いしたこと、また、一時、選手が飽和状態になったせいか、ハク、Kクィック、クロニックなど、イマイチな選手の解雇が早急過ぎたこと、そしてなぜかストーリーに重きを置かなくなったことなどが上げられると思います。
 WWEのよさはなんといっても、カッコよく、楽しい、個性の強い選手がたくさんいること、そして面白いストーリーが売り。今、そのすべてがなくなってしまったんですねぇ。
 おそらく、10年、20年とWWEを見てきた方から見れば、これも浮き沈みのひとつで、あまり気にならないと思うんですけど、筆者のように人気絶頂のころから見始めた人間から見ると、没落の印象ばかりになってしまいます。
 これからまたまき返すのか、それとももっと悪くなるのか? 夢中で見ていたときは、次の回はどうなるかが興味でしたが、今は、WWEの将来がどうなるかが興味へと変わっています。


ニューヨークの一等地、タイムズ・スクエアにあったWWEのショップ&レストラン(2000年4月撮影)。しかし、2003年に閉鎖されました。
   
 
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