人生最大のトホホ!(笑) 自宅の玄関で転んで膝のお皿の骨を骨折、1カ月以上外出できず、いまだリハビリ中。

ホーム

●最大のトホホ発生 (2007年8月上旬)
 50年も生きてくれば、人生には思いもかけないことが起こるというのは、わかっていたつもりです〜。しかし〜、これほど情けない事態に陥るとはさすがに思ってもいませんでした〜(笑)。6月中旬、なんと自宅の玄関で転倒し、膝のお皿の骨を骨折してしまったんです。事の顛末はこうです〜。
 その日夕方、買物から帰ると、郵便受けには、かなりの郵便物が入っていました。また、週刊誌は近くの本屋さんに届けてもらっているので、2冊の雑誌も入っていました。新聞受けを見ると、夕刊も来ています。それらを持つと、両手が完全にふさがった形になりました。ウサギ小屋の我が家の玄関は非常にせせこましく、いつもこういうときは、庭に入って縁側のようなところに物を置いてから玄関にまわるようにしているのですが、あいにくこの日は弟が車を置いているので、それが邪魔して、庭に入れません。それで物を持って玄関に入り、母に物を渡してから玄関を上がろうとして母を呼びましたが、母は最近、かなり耳が遠くなっており、出てきません。それでやむなく、玄関を上がろうとしたのですが、どうしたわけか、その日に限り、いつもはいているスカートが脚にからみ、最初の一歩で段を踏み外し、後ろに転倒したのです。運動神経ゼロの筆者でも、物を持っていなければ、何かにつかまろうとするとか、バランスを取
ろうとしたと思うのですが、両手がふさがっていたためそれができず、狭い玄関に身体を丸めるようにして、もんどり打って倒れこみました。膝がちょうど目の前にあったのですが、そのとき、右膝の形が変わったのがハッキリ見て取れました。
 自力では起き上がれず、やっと出てきた母に助け起こしてもらい、家のなかに入り、打ち身のせいかもしれないと15分ぐらい様子を見たのですが、激痛は引かず、自力で歩くことができないため、救急車を要請。
 情けなかったのは、我が家は古い住宅街にあり、周囲はすべて顔見知りで、母(80歳)と同年代のお年寄りが多いのです。救急車を呼んだので、集まってきた周囲の方は母に何かあったと思われたようです。そうした年配の方に囲まれ、救急車に乗ったのは、そのなかでいちばん若い筆者!!! これにはほんとに情けなく、泣くに泣けない気持ちでした。
 JR駅で2駅ばかり離れた病院に着くと、打ち身か筋を違えたとばかり思っていたのですが、診断は「右膝蓋骨脱臼骨折」、要するに膝のお皿の骨の骨折で、手術、入院が必要ということでガックリ肩を落としました。

 
●病院でのトホホ  
 ということで、人生で初めての入院ということになったのですが、それほど大きな病院ではないため、女性の入院患者の中では筆者がいちばん若かった!のです(ここで威張ってどうする?(笑))。
 そして、病院で情けなかったのは、周りの方から、「どうしました?」と聞かれるたび、「自宅の玄関で転んで…」と事情を話さなければならなかったことです。なにせ筆者がいちばん若いのです。「まあ! お若いのに!」といわれるたびに、穴があったら入りたい気持ちでした。見舞いに来るのも母ですから、普通から言ったら、立場が完全に逆転しています。
 また、病室に個室はなく、内科も外科の患者も一緒の部屋。なかには、長期入院、寝たきりという年配の患者さんもおり、そのなかで、筆者は膝の骨折ですから、それ以外はピンピンしています。出された食事はすべてきれいに平らげ、それでも足りなくて、母に食べ物
を買ってきてもらうありさま。顔色も悪くはありません。なんだか自分だけが元気で申しわけない思いでした。
 また、これがしゃにむに働いてきて、内臓の病気で入院などということであれば、人生について考えたりするんでしょうが、筆者の場合は、ドジなための怪我。それに昨年は40代の最後ということで人生についてはいろいろ考えたので、当面、考えることもないのです(笑)。
 しかし、手術した当日と次の日は、さすがに痛く、これには参りました。痛み止めの注射を打っても、少しは効いているのかもしれないのですが、痛みが全然引かず、看護婦さんからは「痛み止めが効かない体質かも?」と言われました。いまさら、そんなこと言われても〜。
 不謹慎な言い方を許してもらえるなら、自分の人生でこれ以上の痛みがあるとしたら、末期癌にかかったときだろうというほどで、あの痛みがあと12時間続いていたら、病院の窓から飛び降りてたかもしれません。

 
●家でのトホホとバリアフリーの家について考える  
 手術から9日目に退院して、自宅療養ということになりましたが、トホホはまだまだ続きます。というより、退院後がいちばんトホホでした。
 筆者の部屋は2階にありますが、1階の食堂に下りるための階段を、上ることはなんとかできるのですが、下りることができず、母に部屋まで食事を運んでもらわなければならなかったのです。
 我が家は筆者が小学校6年ぐらいのときに建て替えたため、当時はバリアフリーなどという考えがあろうはずがなく、階段が途中で直角に曲がっているのです。また、手すりも弟の子供が小さかったとき、あとからつけましたが、これは大人がつかまるには位置が低すぎ。しかも、昼間でさえ薄暗く、こららのために下りることができないのです。
 幸いというか、あとで建て増しした部分があって一種の変形の2世帯住宅のようになっています。1階は完全に2つに分かれているのですが、2階は廊下でつながっており、2階にもトイレ、また浴室に行くには、大人が使える高さの手すりつきの、新しいまっすぐな階段がもう1つあってこちらは下りることができたので、シャワーを浴びることはできたことです。
 その浴室も、タオル掛けなのかもしれないのですが、元々、ドアの内側に手すりがついていました。これがあったおかげでつかまることができ、退院後すぐにも入浴ができましたが、この手すりがなかったら、当分は足をすべらせるのが怖くて、入浴ができなかったでしょう。
 国土の狭い日本では無理なのですが、実は筆者は自宅で仕事をしていていつも家にいるためか、日ごろから2階建ての家というのは、実に不便だと思っていました。台所、冷蔵庫、食堂など、生活に必要な場所に、いちいち階段を上り下りしないと行けないのです。
 もしこれが1階建てやマンションのようにすべてが同じ階なら、母に食事を運んでもらうなどという情けない事態にならなかったのです。また、母は耳が遠くなっていて、郵便屋さん、宅急便屋さんなどが来ても聞こえないことがあります。退院してからも一度、2階にいる筆者が返事をし、大急ぎで、まっすぐなほうの階段から下りたのですが、急ぐといっても、丸5分はかかりました。

 
●リハビリは続く  
 実は、手術後は、脚を引きずりながらも、じきに歩けるようになると思っていたのですが、これが遅々として進みません。歩けることは歩けるのですが、超ゆっくりの完全なヨチヨチ歩きで、とても怖くて外に出られないのです。外出できたのは、なんと手術から1カ月と1週間目! それも、同じ距離を歩くのに、通常の3倍の時間がかかりました。
 お医者さんによると、筆者の膝は元々、お皿を受ける骨の本体のくぼみが浅く、そのため、お皿の位置がずれているのだそうです。リハビリの先生にも、そのため、普通の人より、回復に時間がかかると言われました。
 また、お皿の骨は通常、ぶつけて骨折するのが普通ですが、筆者の場合はぶつけたのではなく、脚を極度にひねったため、このこと自体がかなり珍しいそうです。骨の割れ方も複雑だとか。トホホ(←もうほとんどヤケです(笑))。 
 皆さんもどうかお気をつけください!!!
 自分が入院、手術することがあるとしたら、成人病だとばかり思っていたのに、この情けなさ。
 唯一の慰めは、手術してくださった担当の先生が若くて格好よかったこと! ってバカ言ってる場合じゃないのですが、バカでも言ってないとやっていられません! トホホホホホ!(笑)
   
   
inserted by FC2 system