我が街・千葉市 雑記2                ホーム
 

 

●千葉駅の建て替え――その2 (2010年5月初旬)
 下の「狭い狭い千葉の繁華街」でJR千葉駅と線路のことを書きましたが、建て替えを予定するJR千葉駅(ニュース記事はこちらこちら2009年12月8日について、もう少し書きたいと思います。
 JR千葉駅は元々は今より北東側の、今は千葉市民会館になっている場所付近にありました。しかし、この位置だと、東京からやってきた列車が千葉県南部に向かうとき、駅で一度スイッチバックを行わなければならず、非常に面倒だったのです。そのため、昭和38年に今の場所に移動しました。
 しかし、県南部と、成田・銚子などに向かう線路が駅で分かれるため、東に向かってハの字に開いたようなへんな形の駅になったのです。そして、ホームとホームにはさまれるように駅ビル(現名称は「ペリエ1」)が建ちました。
 ところが、です。これは、駅を上から見たうえでの形の異常さなのですが、なんと横から見ても、千葉駅はへんなのです(笑)。
 東京方向から駅の南側を東に向かって歩くと、最初はホームと線路は地面にあります。しかし、いつの間にか、線路は高架になっているのです。高架下にはショッピングセンター(「ペリエ2」)が開設されています。
 これは駅西側より東側の地面が落ち込んでいることによります。東京寄りの西口改札は、地面から階段を上ったホーム上階にあるのに、繁華街に向いた東口改札は、ホームより下階にあるという、またまたへんな構造になっているのです。したがって、西口改札からホームへは階段を「下りる」、東口からホームへは階段またはエスカレーターを「上る」ことになります。
 新しい駅は、どうやら西口改札と東口改札が同じ階になるようです。便利ではありそうですが、東口改札に行くのが面倒な気もします。
 それに工事自体がうまくいくのかなぁ(笑)。JRさんにはぜひ頑張ってもらって、よい駅にしてほしいものだと思います。
 

↑線路の位置はイメージですので、実際の位置とは異なっていると思います。


 

 

 
 
●千葉駅の建て替え (2010年1月中旬)
 JR千葉駅が、2015年に向けて建て替えられるそうです。駅建物と一体となった駅ビル「ペリエ1」も2016年から2017年に新しくなるとのこと。建て替え準備はすでに始まっており、駅のなかや駅外の一部の店舗の閉店が年末から始まりました。
 現在の千葉駅、駅ビルは、1963年(昭和38年)に建てられたものだそう。すでに47年がたっているわけです。
 千葉にそれほど長く住んでいない人でも、駅ビルには一度は足を運んだことがあるでしょう。管理人などは、千葉駅そばに生まれ育っていますから、本当にお世話になりました。
 駅ビルが建て替えと聞いて、ぜひ見ておきたいと思ったものがあります。それは屋上です。細かい記憶は消えていますが、子供のころは週末になると行っていたと言っていいほどなので、なくなると聞いて、実に感慨深いものがありました。
 その屋上に行ってみると、丸い建物もそのまま残っており、居酒屋として営業していました。子供のころ、中がどうだったのかは残念ながら思い出せません。
 屋上でよく覚えているのが、大きな水槽があり、カワウソが飼われていて、有料で餌を上げることができたことです。
 現在、屋上の一部は閉鎖されているので、そのせいなのか、それとも子供のころは広く感じたのか、今見ると、屋上全体は非常に狭く感じました。
 この風景がいずれなくなると思うと、やはりさびしいです。




2010年1月13日撮影。以下同。

   
●オバサン服を求めて (2009年12月中旬)
 久しぶりに新しい服を買ってみようと思いました。おととし自分の家で転んで脚を骨折し、一時ファッションどころでなかったため、ずっと服を買っていなかったのです。
 さて、それでどこに買いに行くかです。
 セントラルプラザ、ダイエーが消滅し、パルコは以前はオバサン向けのショップもあったのですが、今は無し。田原屋はビル自体が改築し、ここもオバサン服は皆無に近い状態。さらに、ペリエ千葉も改装され、若者向けショップばかりとなり、オバサンショップは一掃。これにより、千葉の町で、オバサン向けの服を売るのは、そごう、三越のデパートを除くと、「全滅」といっていい状態になったのです。
 筆者は車の免許が無いので、郊外のショッピングセンターという選択肢もありません。
 それで、電車でいちばん近い、JR稲毛駅前の「
SATY(サティ)」と高架線下を利用した、「ペリエ稲毛」へ行くことにしました。
 サティは1階が、中央部分はサティの商品を売っていますが、それを取り囲むように、オバサン向けブティックが7、8軒あり、ペリエのほうも奥のほうに3軒ほど固まってショップがあるのです。
 出かけたのは平日午後。
 驚いたのは、サティは、中央部分にはほとんど人がいないものの、ブティックのほうは、どの店にも筆者以外にもお客さんがいたこと! ペリエも同様です。店によっては店員さんが1人のところもあり、色違いやサイズ違いはないかとか、店員さんは対応に大忙し!
 結局、サティの2軒、ペリエの1軒で買い物をしたのですが、そのいずれの店でも、筆者のほかに会計をしているお客さんがいたのです! また、筆者が買わなかった店でも、購入している人はいました。不況だ不況だと言われていますが、売れているもの、買う人はちゃんといるんですね〜。
 購入したペリエの店では、話を聞いてみると、なんと、今までペリエ千葉で営業していたが、ペリエ千葉の改装で稲毛に移ってきたとのこと! 千葉の店で買い物をしたことがあったと言うと、これからもこちらをよろしく!と深々と頭を下げられました。
 稲毛のサティやペリエで購入していた人が、必ずしも千葉の町にオバサン向けショップが無くなったからとはいえないと思いますが、かなりの盛況であったのは確かです。
 昨今はデパートで物が売れないそうですが、そもそもオバサンたちがそうそうデパートで、おしゃれで値の張るものを買うとは思われません。筆者も、東京で友人と洒落たレストランで食事とでもなれば、デパートで服を買うかもしれませんが、それは年にせいぜい一度ぐらい。この日、買いたかったのも普段着です。
 また、サティやペリエの店なら、なんと言っても気軽に入れます。結構、値の張る品物を売っている店もあるのですが、デパートのようなぎょうぎょうしい雰囲気が無いから、ためらわずに入ってみることができる。さらにどの店でも、デパートと違い、季節を問わずバーゲン品が置いてあります。
 千葉の町は、若者には良くなっているのかもしれませんが、オバサンたちからはほぼ見放された町となってしまったようです。なにせ、買いたくても売っている店がないのです!!! 

 

●狭い狭い千葉の繁華街 (2009年12月上旬)
 相変わらず活気の見られない千葉の繁華街ですが、千葉の繁華街がどうしてこうも「田舎町」で衰退するばかりなのか、今回は地元民ではない方々向けに書いてみました。
 まず、右の地図の千葉駅を見てください。左から右に向いて開いたようなヘンな形をしているでしょう? そして線路は、駅から東と南の2方向に伸びています。
 これは、東に向かう路線は成田などへ向かい、南へ伸びる線路は、房総半島の南に向かっているからなんです。そしてこの両方の線路はいずれも高架線です。
 実はこの高架になった線路が、千葉の繁華街の拡大と発展を大きく、というより決定的に阻む原因のひとつとなっています。
 東へ向かう線路の北側(水色丸)と南へ向かう線路の西側(水色丸)は、駅に近い部分に商店や飲食店などが見られるものの、ほぼ完全な住宅街。これは今も昔も一向に変わりません。したがって、繁華街と呼べるのは、2つの線路にはさまれた、駅前広場、三越などがある、駅東側の部分となります。
 ところが! 駅前広場からは、「田舎町」千葉になぜこんな広い道路が必要なのか(笑)というほど太い道路が伸びていて、この道路の北側(紺の四角のある側)と南側(三越のある側)を完全に分断しています。この道路にある横断歩道は三越そばの交差点にあるものだけ(黄色部分)。したがって、道路北側と南側に人の移動はまったくといっていいほどありません。
 さらに、千葉駅北東側には、全国的に名前を知られた風俗街の「栄町」があります。紺の四角のエリアは栄町ではないのですが、基本的に、雰囲気のよくない飲み屋街、若い人に向けたおしゃれな店は皆無に近く、若者がほとんど足を踏み入れないエリアとなっていて、このことも今も昔も変わりません。
 要するに、千葉の繁華街というのは、道路南側の赤の線で囲った、実に実に狭いエリアとなるのです。
 繁華街のエリアの狭さを象徴するのが、地元民にはよく知られたことなのですが、「千葉駅前には喫茶店がない」ということです。エリア自体が狭いうえ、喫茶店に適当なテナント物件が無いのです。
 今、駅前の主なコーヒーショップは、地図の「ドトール」「プロント」「スターバックス」。しかしこのうち「ドトール」は非常に狭く、立ち飲みに近く、仕事の打ち合わせなどはとてもできません。
 そごうのあるあたりは一見、発展しそうですが、これまた商店、飲食店に適当な物件がありません。黄緑の楕円部分は道路に面してだけビルが建っているのですが(一歩入ると住宅街)、オフィス向けのビルばかりで、道路に面した部分が商店、飲食店を開けるような作りになっていないのです。
 高架線によって画然と分かれた繁華街と住宅街、さらに繁華街を分断する道路、商店、飲食店に向いた物件の少なさ、こうしたものが千葉の繁華街の発展と拡大を大きく阻んでいます。
 もし、千葉駅が右下のような平凡な形の駅だったら、線路のどちらかに大きく繁華街が広がるなど、おそらく今の繁華街のあり方は大きく違っていたことでしょう。 

   
   
   
   
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