我が街・千葉市 雑記                ホーム
 
●JR京葉線千葉みなと駅西側 (2009年10月下旬)
 JR京葉線千葉みなと駅の西側は現在、いわゆる再開発事業が行われており、その名称はどうやら、「セントラルポートちば」と呼ばれているようです。
 今回、このエリアを歩いたので、数枚ですが、写真を撮ってみました。
 この事業、ずいぶん前からやっているようですが、多くがのっぱら状態で、完成はまだまだ当分先のようです。不況のために、はかばかしくないというのもあるようです(
こちら)。
 


駅西側広場。正面の、建物の間の向こうは海。両側の大きい建物はマンション。昔このエリアは工場群でした。


左写真の中央の道(マンションとマンションの間)を海に向かって前進し、両側の大きいマンションの間に来たところ。駅からここまではマンションなどが建つが、飲食店はほぼ皆無。また、道の向こうはまだのっぱらの状態。なお、目の前のこの横断歩道、信号は、半年前ぐらい前には無く、最近設置されました。
   


右上写真位置から右前方(地図で言うと北西)を見たところ。新港の工場群が見える。


今度は左前方を見る。細長い建物が「千葉ポートタワー」。
   


上の写真位置から、千葉ポートタワーに向かい、半分ぐらいまで進んだところ。右手の低い建物はどうやら、マンション「グランスイートブルー」らしいです。ポートタワー手前の大きな建物は、有料老人ホームグッドタイム リビング」。写真撮影位置四方はのっぱら状態。


のっぱらにはこのような看板が立つ。
   


千葉中央郵便局北西角から撮影。左の建物は「グッドタイム リビング」。道のこちら側には、千葉県立美術館、千葉中央郵便局、オークラ千葉ホテルなどが建つが、道の向こうはのっぱら。なお、撮影位置正面には以前、結婚式場の「玉姫殿」などがあったが、現在はのっぱらになっている。
 

 
●忘れられた施設――その2 (2009年10月上旬)
 ずいぶん前に下のほうで、「千葉ポートスクエア」のことを書いたのですが、今回、わりとじっくり見てきたので、再度書いてみたいと思います。筆者は車の免許がないので、ここまでは家から徒歩20分はかかってしまい、おまけにここは陸の孤島で近くに何もないため、行こう行こうと思いながら、すっかりのびのびになっていました。
 さて、行ってみて、体育館である「ポートアリーナ」、ホテルにはその後大きな変化はありませんでしたが、目も当てられないのが、ショッピング棟の「ポートタウン」です。

1階…生鮮食料品スーパーが半分を占めるが、残りの半分はテナントなし。
2階…閉鎖(テナントなし)。以前は「東京電力TEPCO地球館」だったらしい。テラスにあるマクドナルドは営業。
(マクドナルドは閉店しました。2010年5月27日)
3階…プラモデル、鉄道模型などを売る「タムタム」というホビーショップが営業。子供や家族連れ客がまあまあいる。
4階…閉鎖(テナントなし)。以前はボーリング場だったらしい。ボーリング場の前は確かゲームセンターだったような。
5階…レストラン街だが、3軒しか営業していない。
6、7階…フィットネスクラブ。

 千葉市の行政のホームページを見ると、「ポートアリーナ」はいわゆる公共の施設ですが、「ポートタウン」はどうやら民間施設となるようです。
 もし本当に民間の施設なら、まったくもう少しどうにかならないものかと思います。





1階の店舗撤退跡。






2階の撤退跡。

4階の撤退跡。





5階のレストラン撤退跡。

   
 ところで、この「千葉ポートスクエア」から北に5分ほど歩いたところにもうひとつ、忘れられた商業建物があります。
 地図で言うと、「日産プリンス千葉」のすぐ南側の建物です。ここは以前はホームセンターが入っていたのですが、撤退。その後「ヤマダ電機」が入りましたが、去年、1年かそこらで撤退。今は下の写真のように、貸し店舗の看板がかかっています。
 「ヤマダ電機」時代、1回だけ平日の午後、行ったことがありますが、人っ子一人いない状態でした。


 「ポートスクエア」にしろ、この商業建物にしろ、人がやってこないのは、すでに書いたように、このあたりが陸の孤島状態で、近くに食事をできるところ、ほかに寄るようなところがないに等しいためでしょう。
 まあ、これはあまり関係ないとは思うのですが、このあたり一帯は筆者が幼稚園のころまで海でした。つまり海水浴をする場所だったのです。そのせいか、海がなくなった今、筆者などは、このあたりに足を向けるという習慣がありません(笑)。
 ますます関係なくなりますが、左の閉鎖されている商業建物からさらに少し北に行くと、地名が「登戸(のぶと)」となり、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」で「
登戸浦」として描かれた場所になります。「登渡(とわたり)神社」も健在です。

 
●「千葉セントラルタワー」完成! (2009年4月下旬)
 旧セントラルプラザ跡に建設中だったマンション、「千葉セントラルタワー」がとうとう完成しました。
 東京だったらさして珍しくない高層マンションですが、なにせ千葉の町は田舎(笑)ですし、なにより、言うまでもないことですが、昔のセントラルプラザの繁栄を知る者としては実に感慨深いものがあります!
 タワーの写真は少し前に撮りに行っていたのですが、今回は、きぼーるの完成によって、そこにやってくる人を当て込んだ店ができていないかと、改めてきぼーるの周りを一周してみました。
 結論から言うと、そういう新店舗は見事に皆無!(笑) このエリアのゴーストタウン化は少しも変わっていませんでした。
 きぼーるの北側向かいの通りは、東寄りが、閉店した店舗が並ぶ、いわゆる「シャッター通り」に近い状態。そのうちの1軒は、相当前から「テナント募集」の札がかかっているので、今回、近寄ってよくよく見てみると、なんと「当店は2006年4月をもちまして閉店しました」の張り紙がいまだに貼ってあるのです。要するにこの3年間、ここヘの入居者は無いということです!
 また、旧メディアバレーは、閉店して6年もたつというのに、いまだ建物の壁にはメディアバレーの文字があるなど、まるで打ち捨てられた廃墟のよう。また周辺や千葉銀座通りも、このへんが古くからの繁華街だったことが災いし、街の美観を損ねるとも言える、ひどく老朽化した建物がかなり見られることです。
 しかし、決して投げやりになっているわけではなく、冷静になって考えたのですが、こういうふうに嘆くのは、昔のこのエリアの繁栄を知っているから。何も知らずにあらたにセントラルタワーに越して来た方たちにとっては、このあたりは決して悪いところではないのではないかということです。
 生活していくうえで重要なのが、食料品を買える店舗が近くにあるかどうかだと思うのですが、その点、きぼーる内にはダイエーグルメシティ、千葉パルコの地下には西友がありますし、周りには、経営の振るわない店舗などから鞍替えしたコンビニが相当数あります。また、10分歩けば、千葉中央駅隣接のミーオ内に映画館があり、飲食店にいたっては、徒歩10分内でも相当数に上るでしょう。千葉の町の小ささが幸いし、千葉三越、そごうも遠くありません。
 閉店してそのままの店舗、老朽化の激しい建物などが改善されれば、うらぶれた雰囲気もなくなることでしょう。時間はかかりそうですが、そうした方向に向くよう、気長に見つめ続けていこうと思います。

 
●あるビルの改装 (2008年10月下旬)
 筆者の家は、JR千葉駅から歩いて8分の距離にあります。
 そごう、三越などがある繁華街とは正反対の方向なので、家から駅までのちょうど半分は完全な住宅街、残りの半分は、道沿いに小さなビルが並んでいます。
 繁華街でないため、歩いている人も限られるせいか、それらのビルに入っている店舗や飲食店の入れ替わりが実に激しいのです! 夜逃げ(笑)した飲食店などは数知れず、またある商店は、閉まったシャッターの前でスーツ姿の人がなにかメモを取っているので、もしやと思って近寄ってみると、シャッターに張り紙があり、「破産宣告」といった文字が書いてありました。こんなことは枚挙にいとまがありません。
 そうしたビルのなかでも、ひときわ入居率が悪く、入れ替わりの激しいビルがありました。6階建ての小さなビルで、各階テナント等用。住居スペースはないのですが、問題はそのデザインと色です。なんと色は最初のうち、グレーと濃いピンク! そしてデザインがこれ以上ないほど奇妙キテレツで、ビルの入口がいったいどこにあるのかさえ、ぐるっと半周してみないと、見つけられないのです。
 こうした「柔らかすぎる」デザインが、硬いビジネスをやっているオフィスなどに徹底的に嫌われたのでしょう。一時、美術大学、美術学科などを受験する生徒さんにデッサンなどを教える、小さな予備校が入っていたりしましたが、どのテナントも定着しません。
 なぜこんなデザインにしたのか、具体的に設計したのは設計士の人だとしても、ゴーサインを出したのは家主さんでしょうから、筆者常々、「親の顔が見たい!」ならぬ、「家主の顔が見たい!」と思っていました。
 そしてある日、パソコン教室の看板が出たので、一度ビルのなかに入ってみたのですが、度肝を抜かれました。廊下の壁はボロボロに剥がれ、お化け屋敷どころか、まるで廃墟です。海外ではこうしたビルを見たことはありますが、日本では初めてでした。入居者が定着しないから修繕費も出ない→ボロいからお客さんが驚いて二度と足を踏み入れない→経営の悪化、徹底が繰り返されているのでしょう。 
 そして最近、このビルに工事の覆いが掛けられました。いよいよ解体か?と思ったのですが、解体の様子はなく、改修のようです。
 そしてビルは、生まれ変わったに近い状態になりました。大手とはいきませんが、おそらく、若い女性なら誰でも知っている、ある美容関係のテナントがビル全面を借りたのです。外観はまったく違う色に塗り替えられ、なにより、どこにあるかわからなかった入口を、通りに面したところに作り変えたのです。改修としてはかなり大規模といえるでしょう。
 駅からは歩いて3、4分ですから、お客さんにとっては便利です。しかし、今までのこの通りの歴史(笑)からいって、このテナントもいつまで持つか、かなり疑問を感じているところです。 

 
●驚きの客層変化 (2008年6月中旬)
 昨年暮れ、JR西千葉駅直結の小型ショッピングセンター「メリーナ」が「ペリエ」として新装オープンしました。どうリニューアルしたかを一言で言ったら、以前よりぐっとおしゃれに、また、高級感あるお店が入ったということでしょうか。
 たびたび夕飯の材料を買いに行く筆者、その客層の変化に驚いています。
 それまでのメリーナのお客さんはというと、ほとんどが筆者をはじめ、突っかけサンダルでやってきた近所のオバサンばかり。それに、駅前の千葉大学生らしい若者と高校生が少し、という状態でした。
 それが改装してからというもの、ハイヒールを履いた身奇麗な、OLらしい女性、千葉にもこんなおしゃれなオバサンがいたのか!というような中年女性、小さい子供をつれた家族連れなど、今まで足を向けたことのない人たちが来ているのです。
 来客数でいうと、3倍ぐらいには増えているのではないかと思います。いちばん驚いたのは、女性トイレにたびたび行列ができること!
 「雰囲気が稲毛のペリエみたいになったね」と母親も言っています。
 うまく改装すればお客さんは増える!という典型だとは思うのですが、なにせ改札の目の前という、最高の立地ですから、どの商業施設にも当てはまるとはいえないでしょう。元々、商圏人口はあったけれど、多くの人からそっぽを向かれていた。そうした、素通りしていた人々がやってくるようになった、というのが正確でしょうか。
 しかし、筆者も行くのが楽しくなりました。入っている店が変わったからではなく、客層が変わり、にぎやかで華やかな雰囲気になった、そのことが大きいです。

 
●「きぼーる」の一部がオープン (2007年9月上旬)
 旧扇屋ジャスコ一帯のエリアを再開発した「きぼーる」の一部が9月1日オープンしたので、オープンの翌日、足を運んでみました。
 その数日前にも一度外観を見に行ってみたのですが、そのときの印象を一言で言うと、「予想していたより数段りっぱでオシャレ〜〜〜〜! びっくり!(笑) これなら大丈夫だろう」。
 実は、それまでの想像では、「どうせ、ダサい建物で、市民がわざわざ出かける気にはならないだろう。きっと失敗に終わる!」というものでした。
 それというのも、下の「忘れられた施設」で書いたように、「ポートスクエア」が大失敗に終わっていたからです。筆者は長い間、知らなかったのですが、トイザらスはとっくの昔に撤退し、現在、ポートスクエアはまるでおばけ屋敷のような状態になっています。素人の筆者の考えですが、将来的には取り壊しにでもなるのではないかというひどさです。
 その点考えてみれば、きぼーるは、陸の孤島のようなポートスクエアに対し、地の利が格段に違っていることに気づきました。レストラン&ショップエリアはあまりに小ぢんまりとしており、ショッピングセンターというにはほど遠いのですが、すぐ横が県庁などの官庁街ですから、ランチタイムなどには一定の来客が見込めます。またこのあたりいったいは実質、住宅街で、食料品を買える場所が求められていましたから、ダイエー グルメシティはかなり流行るでしょう。
 ダイエー グルメシティに入ってみたところ、面積は小さく、高級品と呼べるものもほとんどないのですが、内部の作りが、外国製品を売る、高級スーパーのような
雰囲気になっており、通常のスーパーとは異なっていました。筆者のように、どんなものかとりあえず見に来た、という来客もかなりあったと思うのですが、皆、このダイエーの出現を非常に喜んでいるように見受けられました。 
 ただ、きぼーる自体はいいと思ったのですが、問題は周りの環境です。このあたり一体は、長いことさびれきっており、まるでゴーストタウンのようになっています。せっかくきぼーるまで来ても、すぐそばに、魅力的な店舗や食事をするところがまるでないのです。たとえば、筆者などは、きぼーるまで歩くと25分ぐらいかかってしまいますので、マクドナルドのような気軽に入れる店で休憩をしたいと思います。科学館や子育て支援館に来る、子供づれの人々もおそらく同じ思いでしょう。しかし、そんな場所はありません。どうせなら、きぼーる内にそうした手軽に入れる店が入っていたら、と思いました。
 せっかくいい施設ができたのに、できたのが遅すぎたのか、周辺がそれに伴わなくなっています。この日も、銀座通りを通ってきぼーるまで来たのですが、日曜日の午後2時半だというのに、銀座通りを歩いている人はほとんどいません。きぼーるのある通りと北に平行し、銀座通りと交わる通りなどは、人っ子一人歩いていませんでした。こうした周囲のさびれが、きぼーるの足を引っ張ることになりはしないかと、その点が心配です。

 
●千葉そごうの改装 (2006年10月上旬)
 今年の5月に千葉そごうが改装され、昨年後半には、それまでのSOGOコリドーモールがオーロラモール ジュンヌとして生まれ変わりました。千葉の中心部繁華街にとっては、久々の変化であり、明るいニュースです。これによって、ここ数年、まさに死んだようになっていた千葉の町にも、局地的ではありますが、活気が戻ってきました。
 ジュンヌは、全フロアのほとんどを20代前半の女性向けショップとしたことで、若い女性がやってくるようになりましたし、そのボーイフレンド、つまり若い男の子も来ますから、全体として、若者の姿が大幅に増えています。
 千葉そごうのほうは、LOFTが入ったのが、なんといっても大きな変化でしょう。LOFTが来たおかげで、田舎町の千葉にも、ようやく「文明がやってきた」(笑)という感じですし、やはり若者でたいへんにぎわっています。
 レストラン街にも、ラーメンの「山頭火」など、これまでのそごうでは考えられなかった、話題のおしゃれな店が入っています。ミセス向けのファッションフロアも、これまでは閑古鳥が鳴いていて、平日など、ほとんど人が見られないありさまでしたが、お客さんが戻ってきています。食料品売り場の地階も、休日などはすごい人混みです。
 全体として、「大きいばかりで買いたい物がない!」と言われ続けたそごうに、年代を問わず、人がやってくるようになりました。 
 ただ、心配なのは、やはり実際に売れているかどうかですね。そごう1階のアクセサリー売り場などは、売れ行きが悪いのか、もうすでに撤退した店がありますし、ジュンヌのほうは、若い女性には区別がつくのかもしれませんが、筆者などから見ると、どれもこれも同じような店が並んでいて、つまり、共倒れになりはしないかと心配です。また、ここの地階は、コリドーモールのころからどういうわけか人が集まらず、ジュンヌになってからも、撤退したあとがずっと板塀で囲われた店があることです。
 改装後しばらくは人が集まっても、そのうちみんな飽きが来ますから、これからそれにどう対処していくかが、勝負といえるのではないかと思います。

 
●忘れられた施設 (2004年6月上旬)
 朝食のとき、新聞にはさまっているスーパーのチラシ類(笑)を見ていたら、あるホテルのバイキングの広告も入っていました。なかなか内容がいいようなのですが、聞いたことのないホテル名なので、地図を見てみて驚きました。そのホテルは少し前まで、全然違うホテル名で、しかも、これで確か経営が替わって4軒目となるのです。
 そのホテルのある場所は「千葉ポートスクエア」。千葉市のなかで東京湾沿いにあり、体育館である「千葉ポートアリーナ」、小さなショッピング施設、オフィス棟、そしてホテルなどから成る複合施設です。できたのは確か、93年か94年。しかし、ここは現在、スポーツをやっている人や小さなお子さんのいる家庭以外からはほとんど忘れらた存在となっています。
 できたときはかなり話題になり、筆者も行ったのですが、それほど時間がたたないうちに、最初のホテルと、ショッピングエリアにあったいくつかの店舗が逃げるように去って行きました。
 それというのも、ショッピングエリアはあまりに小さく狭く、オモチャのトイザらス以外はなにもないに等しいのです。ホテルのほうも、観光資源がゼロの千葉市は、ほとんどホテルというものを必要としていません。極め付きは交通の不便
さ。JR千葉駅からは徒歩15分、京成電鉄の千葉中央駅からも10分近くかかるため、繁華街に行くにも、県庁などの官庁街に行くにも、どこへ行くにしても、絶対タクシーに乗らなければなりません。いわば陸の孤島のような存在なのです。
 体育館では結構スポーツの試合が行なわれているようですが、成人になってスポーツをしている人は少数ですから、筆者もこれまで行ったことがあるのは、プロレスを見に行った1回だけ。ホテルのほうも、新たな経営主体がやってくるたび、ビジネス客向けのディスカウントなど、色々方策を講じているようですが、じきに撤退していきます。ショッピングエリアにいたっては、トイザらス目当ての家族連れ以外、わざわざここへ足を向ける人は皆無でしょう。
 ホテルのバイキングは魅力的なので、行ってみるつもりではあるのですが、車の免許のない筆者は、時間のあるとき、えっちらおっちら歩いて往復するしか方法がありません(笑)。

 
●千葉パルコ周辺 (2004年2月上旬)
 久しぶりに千葉パルコに行ってみました。セントラルプラザ、パソコンショップの「メディアバレー」がオープンしていたころは、ついでにのぞいて見ることが多かったパルコですが、ほとんどが若い人向けのショップで構成されていることもあり、最近は、近くの銀行に用事があるときなどをのぞくと、ほとんど足を向けなくなっています。
 3階では、或る女性アパレルの店が閉店するらしく、店内はダンボールが積み上げられていました。前回、やはり銀行に用事があって訪れたときも、そういう女性アパレルの店に出くわしました。気のせいか、昔より、店舗開店、閉店のサイクルが短くなったように感じます。1階でも、或る女性アパレル店が「閉店セール」。「閉店」といっても、改装して営業を続けることが多いので、「リニューアルですか?」と聞いてみたら、「いいえ。千葉からは撤退しますっ」ときっぱり言われました。千葉という単語を強調していたのが気になります。この店は結構長い間続いていたのですが、カジュアルで若い人向けの店で占められるパルコにあって、OL向けのお嬢さんぽい衣料、価格も高め、パルコではかなり異色の存在。パルコの客層に合わなかったのかもしれません。 
 パルコをのぞいたあとは、千葉銀座を見てみるのが、筆者の定番。去年の暮れにマクドナルドがとうとう撤退した以降は、特に変化はないようです。
 パルコ周辺がすっかり地盤沈下した今、ひとり頑張ってくれているのがパルコ。そこへの集客数も気になるところです。幸い、パシオス田原屋からパルコにかけて、若い人は相変わらず歩いており、素人目に見ると、パルコへの客数はそれほど減ってはいないよう。
 また、田原屋とパルコの間の通りには新しいドラッグストアが開店準備中など、消費者を引きつける力はまだあるようです。千葉銀座の復活がまったく望めない今、千葉の繁華街がこれ以上衰退しないしないためには、この通りに頑張ってもらうしかないのかもしれません。
 
   
 
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