千葉市中心部の商業施設2

★データなどに間違いがありましたら御指摘ください。
※データ、写真は2003年6月上旬のものです。

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●閉店、消滅した商業施設●

田畑百貨店
1964(昭和39)年開店、1971(昭和46)年5月12日、大規模火災に遇う。当時の建物は現在、「千葉パルコ」になっている。
   残念ながら、子供すぎて、当時の記憶はほとんどありません。ただ、火事のあと、学校が引けてから、徒歩で焼け跡を見に行ったことはハッキリ記憶しています。鎮火はしていたのですが、まだ、ビルからは、煙が立ち上っていました。
 「田畑百貨店」は、この火災で焼死された、当時の社長が苦労して築き上げた店らしく、拡張に拡張を重ねたようで、「迷路のような店内」と新聞記事に載りました。消火に手間取ったのも、建物の複雑さが一因だったようです。
 現在、建物は1976年にオープンした「千葉パルコ」となっています。


セントラルプラザ(奈良屋)
1950(昭和25)年、百貨店「奈良屋」として開店、1972(昭和47)年、ショッピングセンター「セントラルプラザ」となる。2001年10月31日閉店。
 残念ながら、「奈良屋」のときの記憶はほとんどありません。上のほうに食堂があったような気もするのですが…。
 「奈良屋」当時からかもしれませんが、「セントラルプラザ」になってからは、1階に洋菓子の「不二家」ができ、レストランとショップを経営。その後、すぐ横に「サーティーワン・アイスクリーム」ができ、高校生のころだと思うのですが、よく行っていました。その横には、女性衣料の「SUZUYA(鈴屋)」があり、大学生のときによくかよいました。あのころが「セントラルプラザ」のいちばんいいときだったのかもしれません。
 上の階には、「セントラルプラザ」開店当時から、県下最大規模の書店「多田屋」がオープン。この書店には本当によく足を運びました。理科系の書籍も多く、また、千葉県のコーナーもあったと思います。同じ階には、仮装用の変なゴムマスクなどを売る店、文房具店、籐の家具を売る店なども存在。いちばん上の階は食堂街で、いつだったかリニューアルされ、館内に水の流れる小川ができ、そのときは、どのレストランにも行列ができるほど賑わったように記憶しています。また、催し物場もあり、せんだみつおさんを見たことも。
 「千葉パルコ」が流行最先端の衣料品などを売るのに対し、「セントラルプラザ」は一般的、庶民的な店が多く、両者は千葉市中心部を代表するショッピングセンターとして、よく比較されたものです。
 地階は以前は食堂街だったのですが、その後、「フレックス」という食料品スーパーになり、カラオケ屋などもできて、筆者は眉をしかめていました。
 蛇足ながら、筆者は大学生のころ、3階(?)にあった下着屋さん、地階の飲食店でアルバイトしたことがあります。
 現在(2003年5月)、建物は閉鎖されたまま。シャッターにはペンキのいたずら書きなどもあり、かなり荒れた印象になっています。


メディアバレー(十字屋ショッカー、十字屋)
1951(昭和26)年、「十字屋」として開店、1986(昭和61)年ごろ、食料品を中心とするディスカウント店「十字屋ショッカー」になった模様。「十字屋ショッカー」は1996年8月閉店。1997年9月、大型パソコンショップ「メディアバレー」として開店、2002年2月24日閉店。
 「十字屋」は、「田畑百貨店」「奈良屋」「扇屋」などと並ぶ、千葉市でも古いデパートで、「千葉そごう」「千葉三越」が高級品を売るのに対し、それよりかなり下のランクのものを売っていたように記憶しています。
 その後、食料品中心のディスカウント店「ショッカー」に変貌しましたが、当時は、同種の店が少なかったせいか、1996年の閉店まで非常に賑わっており、惜しまれつつ閉店しました。
 「ショッカー」閉店後は、1997年、大型パソコンショップ「メディアバレー」とみたびの変貌をとげ、開店してからの一時は、パソコンブームもあって結構、客は入っていたのですが、立地的にJR千葉駅前の「ヨドバシカメラ」に徐々に押され、最後は休日でも閑散とするなか、閉店となりました。
 「ヨドバシカメラ」は店員さんも少なく、常に混雑状態で、パソコンのことを相談しずらかったのですが、ここは店員さんがパソコンに詳しく、客が少ない分(!)、筆者はよく相談に乗ってもらったものです。
 パソコン関係の書籍、ソフトも多く、一時、中古品コーナーなどもありました。
 現在(2003年5月)、建物は閉店されたままで、今後どうなっていくのか気になるところです。


扇屋ジャスコ(扇屋)
1959(昭和34)年、百貨店「扇屋」として開店、1976(昭和51)年8月、「ジャスコ」に合併され、「扇屋ジャスコ」となる。1992年10月18日閉店。
 1980年以前、中央部が賑わったころ、中心的存在だったのがこの「扇屋」です。1972年には、それを象徴するように、千葉市で初めての「マクドナルド」が1階にオープンしました。
 閉店までの晩年は、家具を中心に販売していたそうです。
 家具販売になってからは残念ながら足を運ぶことはまったくといっていいほどなく、閉店時の記憶もありません。
 現在、ビルは、千葉市役所中央分室となっており、当時を偲べるものはなにもなくなっています。


緑屋千葉店
1967(昭和42)年開店、1983(昭和58)年12月閉店。
 昔懐かしい「月賦販売」をしていたのが「緑屋」。
 ここも、館内の様子がぼんやり浮かぶぐらいで、1980年ごろ、とんでもなく高い下着を買わされそうになった以外、記憶にありません。
 「緑屋」は全国に数店あったようですが、経営不振から全国的に百貨店事業をやめたようです。
 以前は確か、1階に人形の「秀月」、現在はジーンズショップが入っていますが、「緑屋」閉店以後、ビル全体を埋める商業施設は入らず、千葉市中央部の凋落を象徴しているかのようです。


丸井千葉店
1964(昭和39)年9月開店、1987(昭和62)年閉店。
 残念ながら館内の様子は、本当にぼんやりと頭に浮かぶだけで、記憶がほとんどありません。
 閉店から15年以上がたった今、当然のことながら当時を偲ばせるものはなにもなく、閉店後のビルには、漫画喫茶、カラオケ店などが入っています。


京成千葉ビル
1958(昭和33)年開業、1999年ごろ取り壊され、現在、ビルのあった場所は、2002年9月6日に開業した「ミラマーレ」になっている。
当時の建物は存在せず  実はこの文章を書くにあたりネットで検索するまで、いつも行っていたこのビルが「京成千葉ビル」というのだとは知りませんでした(笑)。千葉中央駅の前にあって、1階に「ロッテリア」が入り、3、4階が映画館「京成ローザ」だった建物がこの「京成千葉ビル」らしいです。
 「京成ローザ」には子供のころから高校まで、何回か足を運びました。大昔のディズニーアニメ「101匹わんちゃん大行進」や「エクソシスト」を見たのもここだったと思います。
 以前は2階に書店や古本屋が入っていましたが、取り壊し前の数年は、2階は閉鎖されていたように記憶しています。
 千葉中心部で「ロッテリア」があったのも確かここだけ。その横は靴売り場でのちに高校などの制服を売っていたように思います。
 懐かしいこの建物も、現在は、ホテルなどから成る立派な複合施設「ミラマーレ」に変貌しています。 


ダイエー千葉店
1973(昭和48)年11月開店、1998年12月31日閉店、1999年6月26日再開店、2001年5月31日閉店。
 ダイエー全体の経営危機などにより、一度閉店し、地元住民の要望で再開店するという、まれに見る珍現象をへたあと、とうとう最終的に閉店してしまいました。
 千葉そごう、千葉三越が高級衣料を売るとしたら、ダイエーは中級品から下級品を扱っており、そのせいか、経済的理由(笑)で、本当にお世話になりました。
 また、家電製品といえば、昔はダイエーが有名で、よく買ったものですし、近くにそれらを買える店がなかったため、台所用品、カーテンなどのインテリア用品売り場にも、頻繁に足を運んだものです。
 最初の閉店まで、いちばん上の2階分は確かレストラン街になっていたはずです。
 地階は、食料品売り場で、日曜日には、上の階で洋服を見たり、書店をのぞいたあと、食料品のビニール袋を下げて家に帰るのが習慣になっていましたし、ファーストフード店などもあって、ラーメン、お好み焼きなどが常食でした。一時、すべての食べ物が1品100円という時期もあったと思います。
 現在(2003年5月)、建物はそのままになっています。今後どうなっていくのでしょう? 

 

 

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