千葉市中央部の空洞化(2003年5月) 地図(左クリック) 年表   ホーム
●懐かしき千葉の街
 
つい最近(2003年5月)、NHKの夕方6時のニュースを見ていたら、栃木県宇都宮市で、駅前の地元資本のデパートが閉店するというレポートをやっていました。この地域では、西武百貨店やそのほかの地元資本のデパートも撤退し、このままでは、駅周辺の空洞化が一段と進んでしまうというのです。
 このニュースを見て、まったく他人事とは思えませんでした。千葉市の中心部も、まさに空洞化の一途をたどっているのです。
 現在、千葉の繁華街は、JR千葉駅前がその中心のように思われていますが、筆者が子供のころから大学生ぐらいにかけては、すでに閉店した「セントラルプラザ」「扇屋(のち「扇屋ジャスコ」)」のあった中央区中央3・4丁目あたりが中心だったのです。
 「中央」という町名が表すように、「セントラルプラザ」から「扇屋」にかけての通りが最も「すすんで」おり、今70代後半の母親に言わせると、「昔、アイスクリームを食べられるのはあそこだけだった」という、洋菓子の「新柳」などがあって、よく連れて行ってもらいました。筆者の記憶に間違いがなければ、千葉市で最初の「マクドナルド」ができたのも、「扇屋」の1階で、もちろん、高校生だかのときに食べに行きました。
 また、今の京成電鉄千葉中央駅横には、「千葉京成ホテル」があり、そのなかに、当時としてはまだ数少なかった(と思う)、「中華料理屋」ではない、中華のちゃんとしたレストラン「バンブー」という店が入っていて、家族連れでよく食べに行っていました。
 創業が昭和4年という洋食の老舗「ほてい家」は、我が家にとってはあまりに敷居が高かった(笑)らしく、1回、どこかのショッピングセンターだかの福引で無料飲み物券のようなものが当たったらしく(笑)、一度だけ飲み物を飲んだことがあります。
 「セントラルプラザ」はもとの名を「奈良屋」という百貨店で、百貨店の前は長い歴史を持つ呉服商(?)。聞いた話では、千葉市の商業施設のなかで一番最初にエレベーターを設置したとのこと。設置当初は、下駄を脱いで、箱のなかに入ろうとした人がいる、というエピソードを持っているそうです。その「セントラルプラザ」(「奈良
屋」のころから?)には「ペコちゃん」で知られる「不二家」があり、その隣にやがて「サーティーワン・アイスクリーム」ができ、高校生ぐらいのときは、来週はどの種類のを食べようかと楽しみでしたし、大学生の頃は、若い女性に圧倒的な影響力を持っていた、衣料品の「SUZUYA(鈴屋)」、県下で最大の規模を誇る書店「多田屋」もあって、あしげくかよったものです。
 中学だか高校のとき、ニキビができ始めて、母親が化粧品を買ってくれたのは、「なかはら」。
 「セントラルプラザ」の周辺にも、デパートである「十字屋」、今は死語となった「月賦販売」をしていた「緑屋」「丸井」が林立していました。
 この付近を中心に、神輿などが出る、「親子三代夏祭り」が始まったのは、1976(昭和51)年。大学生のときは、「セントラルプラザ」の地下にある飲食店でアルバイトをしていたのですが、開催日はとんでもない人出で、次から次にやってくるお客さんの対応に、家に帰ると口も聞けないほど疲れましたし、1980年頃だったと思うのですが、「緑屋」で6800円!の下着を買わされそうになったこともありました。今でも下着が6800円といえば、相当な高級品ですから、当時としては目の玉が飛び出るような値段で、店員さんを振り切り、ほうほうのていで逃げ帰って来たものです(笑)。
 木更津に住んでいた友人に聞いても、「ダイエー千葉店」に来るのが楽しみで、そこに来るととんでもなく都会にきたような気がしたと言っています。筆者も「ダイエー」や「千葉駅西口ビル」のなかの「京成ストア」という食料品スーパーで、よく夕飯のおかずを買ったものです。
 しかし、今、ここに上げたデパートや店は、「ほてい家」「なかはら」を除くとすべてありません。今の高校生は、「扇屋」や、そこに「マクドナルド」があったことさえ知らないでしょう。「セントラルプラザ」から「扇屋」の通りに日曜日に出かけても、ほとんどの店は閉まっています。

 
●JR千葉駅前に人出集中  
 千葉の街では、もともと京成電鉄の千葉駅が今の中央公園付近にあり、その千葉駅と千葉県庁を結ぶ、「千葉パルコ」の東側の通りが、最も繁華な「千葉銀座通り」だったのです。その千葉駅が1957(昭和32)年、現在の千葉中央駅位置に移転。また、今の東千葉駅付近だった国鉄千葉駅は、東京からやってきた列車が千葉から南へ直進できるようにとの理由で、1963(昭和38)年現在の位置に移動しました。
 しかし、駅が移転したからといって、かなり長い間、「千葉銀座通り」付近が繁華街の中心であることに変わりはなく、1972(昭和47)年百貨店「奈良屋」がショッピングセンター「セントラルプラザ」に様変わりしたときも、まさにこのあたりが千葉の「セントラル(中心、中央)」だったことから命名されたように思えます。「マクドナルド」も同年、「扇屋」1階にオープンしました。
 しかし、その後、中心は徐々にJR千葉駅付近に移っていきます。1987(昭和62)年、現千葉中央駅前にあった「丸井」が撤退、また「緑屋」は全国的な経営不振から、1983(昭和58)年ごろ、月賦販売の百貨店事業自体をやめたようです。
 JR千葉駅前への集中が決定的になったのは、おそらく、1993年に「そごう」が本館を京成電鉄の現千葉駅横に移し、売り場面積を大幅に増床、また巨大な駐車場を併設したことでしょう。売り場の規模は、本館と、それまでの本館から別館となった「Bee-One(ビーワン)」や、新たにできた「SOGOコリドーモール」も合わせると、「日本最大級」といううたい文句でした。電車でやってくる人にとっても、駅前に大きな商業施設があるというのはやはり魅力で、これにより、駅前に圧倒的に人出が集中するようになったようです。
 しかし、筆者のように、徒歩で千葉の繁華街に歩いて行ける人間は、最初、この「そごう」増床や駐車場のことをあまり大きなこととはとっていませんでした。「Bee-One」のほうも、経営はうまくいかず、開店当時は、地下1階から3、4階ぐらいまではブティック形式で若い女性向けの衣料品を売っていましたが、恐ろしいほど客が入らず、じきに改装されました。 
 筆者の場合、変化が生じたのは、書店によってである、と言ってもいいかもしれません。当時は、まだパソコンも普及しておらず、当然インターネットも見られませんから、本はまだ重要な位置を占めていたのですが、「そごう」増床によって、店内に大きな書店ができたのです。それまでは、「セントラルプラザ」のなかの「多田屋」に頻繁に足を運んでいたのですが、売り場面積はほとんど変わらないものの、本の並べ方、いわゆる「棚の作り」が「そごう」のほうが圧倒的に優れていたのです。「多田屋」のほうは、同じ分野のなかで、出版社別に本を並べていることが多かったのですが、「そごう」は、出版社にこだわらず、題材によって、並べていました。当然、買う人間にとっては、「そごう」のほうが便利なのです。これによって、いつのまにか、「多田屋」には行かなくなり、つまり、千葉市中心部に足を運ばなくなっていったのです。また、「セントラルプラザ」からもどんどん店舗が撤退していきました。
 そして、さらに1995年、「Bee-One」の、衣料品売り場に代わって「ヨドバシカメラ」が入ったことによって駄目押しが押されます。それまで、電器製品の量販店がなかったので、「ヨドバシカメラ」の人気はすさまじく、その後、パソコンや携帯電話が普及し始めると、さらに集中が高まりました。「セントラルプラザ」の横には、「十字屋(のち「ショッカー」)」跡に「メディアバレー」という大型のパソコンショップもできたのですが、やはり、駅から遠いことが災いしたのか、東京の秋葉原では、新製品が出て、売り切れ店続出というような日でも、店内はガラガラでした。
 JR千葉駅から見ると、今、人出があるのは、「千葉パルコ」まで、「千葉パルコ」の南側に人が流れることがなくなり、千葉の中心部は空洞化の一途をたどり、「セントラルプラザ」の「多田屋」の閉店は、朝日新聞日曜版の「読書」のページでも全国的に取り上げられ、その後、「セントラルプラザ」も閉店。「ダイエー千葉店」は一度閉店し、その後、地元住民の要望で再開店するという「珍事」を経たあと、最終的に閉店しました。

 
●時代の変化もある?  
 ところで、こうした中心部の地盤沈下ですが、これはなにも千葉だけの現象ではなく、周知のように全国的現象だそうです。自家用車を利用して、郊外の大きなショッピングセンターや量販店、ホームセンターに人々が足を運ぶため、地元商店街、繁華街の凋落はかなり前から問題になっています。要するに、それまでの繁華街を訪れる人の数自体が減っているのですね。
 昔あれほどの人混みを産んだ「親子三代夏祭り」も海外旅行が気軽にでき、魅力的なレジャー施設が多数ある現在、もう人を呼ぶことはできません。今、開催日に行っても、昔の百分の一の人出もないでしょう。
 また、「セントラルプラザ」を例に取れば、入店していた店舗自体にも変化が起こっています。たとえば、「不二家」や「サーティーワン・アイスクリーム」はその後、多量に登場した洋菓子店やアイスクリーム店によって、昔のような圧倒的な人気はなくなっていますし、あれほどの影響力を持った「SUZUYA」にいたっては、97年、倒産! 振り返ってみれば、その他の商業施設は頻繁に改装をしていたのに、「セントラルプラザ」はほとんど改装というのがなかったような気がします。もちろん、そのときそのときの人気店を呼び込めなかった「セントラルプラザ」の力のなさがあるのでしょうが、人気のメーカーやブランドの変
化があまりに大きいという現象もあるような気がします。
 また、「ダイエー」のように、全国的大手までが、経営危機に陥っています。「ダイエー」といえば、友人が言ったように、昔は本当に人気の店でした。それがいつからかパッとしなくなり、昔を知っている人間にとっては「どうなっちゃってるの?」という気持ちです。
 「そごう」は閉店せずにすんだものの、残念ながらほかに店がなくなったから行っているという状態です。筆者は中国語をやっていた関係で、中国・北京、香港、台湾・台北と台中の「そごう」に行ったことがあるのですが(笑)、とにかくどこもデカい! 海外ではその規模や、生活水準の関係で、商品がよく見えるようですが、日本では、ただ大きいだけでは当然、ダメのようですね。
 昔は、デパートや大型スーパーが進出すると、まわりの個人商店に打撃が大きいと言われていましたが、今はその逆に大手が撤退すると人が来ず、個人商店が困るという現象が起こっているようです。そして、その大手自体が危ないというのですから、時代の変化を感じずにはいられません。

 
●千葉の繁華街は「田舎」(笑)  
 ところで、JR千葉駅前や中心部も含めてですが、千葉の繁華街を「田舎」だと感じていない、千葉市民はおそらくいないでしょう(笑)。
 これは、ひとつは、秋葉原まで電車で約40分、新宿までが50分、千葉が東京に近すぎて、若者客が東京に流れてしまうというのがあります。おしゃれな若者はみんな東京に買物に行ってしまうのです。「千葉パルコ」は開店当時は「コム・デ・ギャルソン」のような最先端の衣料品も扱っていましたが、すぐに撤退。同じ品物を買うのでも、田舎の千葉の街より、渋谷や青山で買ったほうが気分がいいというのがあるのでしょう。
 「ドトール・コーヒーショップ」「スターバックスコーヒー」「マツモトキヨシ」などの出店もきわめて遅く、これを「屈辱」(笑)に感じていた市民は少なくないと思います。経営者から見ると「田舎」の千葉の繁華街に出店しても人が来ない、と思われたのでしょう。
 また、千葉の繁華街は、いわゆる「ニュー・ファミリー」という購買層が少ないようです。これは津田沼などに行くとハッキリします。JR津田沼駅前の「ダイエー」は以前は、半分が「エキゾチックタウン」と言っていましたが、ここの電器製品売り
場やアウトドア用品売り場に行くと、千葉の街では見られない、小さな子供をつれた家族連れで押すな押すなで、筆者などは圧倒されていました。こうした家族連れは千葉の繁華街では見られません。それが証拠なのか、手芸用品を中心とした量販店の「ユザワヤ」は千葉を見捨て(笑)、津田沼駅前に開店しました。
 これ以外でも、レストランの「イタリアン・トマト」やアイスクリームの「ハーゲンダッツ」などはとうとう千葉の街にはやってきませんでした(笑)。これからも永久に来ないでしょう。経営陣というのは、実によくその地域を調査研究しているものだと思います。
 千葉の繁華街にないからよその街や郊外に行く、それが千葉の繁華街から人を逃がし購買力を下げ、購買力がないから、千葉の繁華街には出店しないという悪循環が繰り返されています。繁華街の大きさ自体も実に小さく、昔、東京の吉祥寺だかに行ったときは、県庁所在地である千葉より、吉祥寺のほうが大きいのか!(笑)と思ったものです。

 
●再生できるのか?中心部  
 この文章を書くにあたり、久しぶりに県庁近くにある県立図書館に行ってみました。京成の千葉中央駅に着いたのは平日の午後2時過ぎ。そこから、以前の「丸井」前を通って、図書館に向かいます。駅や通りはさぞや誰も歩いていないのでは、と思っていたのですが、意外にも結構人がいてほっとしました。昔からある「ミスタードーナツ」も健在でした。
 帰りは「千葉パルコ」東側の「千葉銀座通り」を見てみたのですが、ここは本当に、ほかから来た人が見たら、「なぜここに『銀座』という名前がついているのか?」と思うでしょう。「セントラルプラザ」横にいたっては、どぎつい「テレクラ」という大きな看板が出ていて、まったく嫌になります。この周辺や駅にかけては、カラオケ屋などが増え、雰囲気が非常に悪くなっています。ちょうど退社時間と重なったのか、千葉中央駅に向かう人はずいぶん歩いています。ただ、気になったのは、「丸井」前から駅
に向かうと、駅に入らず、くるりと右を向いて、JR千葉駅方向に向かう人がかなりいることです。中央駅の改札前に着いても、ちょうど、駅に隣接した「Mio(ミーオ)」が定休日のせいか、やはりそそくさとそこを通り過ぎ、JR千葉駅方向に行く人が相当いました。そして、JR千葉駅に着くと圧倒的な人の数。
 今、千葉市では、「扇屋ジャスコ」跡を再開発する計画があるそうです。また、千葉中央駅に隣接して、ホテルとレストランなどで構成された「ミラマーレ」もできました。
 「セントラルプラザ」や「メディアバレー」跡がどうなるのかは、非常に気になるところなのですが、まだメドが立たないようです。ここの再開発は、よほど魅力ある施設にならないと人は戻らないでしょう。
 昔のような賑わいは戻ってこなくても、少しでも人が帰ってきてほしい中心部です。
   
   
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